間接的な面会交流・モラハラ元夫への手紙の返信【まさかの受取拒否!?】
目次
間接的な面会交流・モラハラ元夫への返信
面会交流調停で決まった間接的な面会交流は【手紙のやりとり】
1回目から調停で決めた内容を守らないモラハラ元夫。
くわしいお話はこちらを…↓
モラハラ元夫から実際に届いた手紙【間接的な面会交流のこと】
約束を守らない場合は返信をしないという取り決めもしていたのですが、モラハラ元夫はわたしと関わるためにトラブルを待ち望んでいるので、1回目だけは返信をしました。
子どもたちは手紙を書かない
子どもたちは手紙を書かないというので、子どもたちの近況を知らせる内容の手紙だけを送ることにしました。
調停では、子どもたちが手紙を書くかどうかは子どもたちに判断に任せる、わたしが強制することはできない、と決めてあります。
子どもたちが手紙を書かない場合には、わたしが子どもたちの近況を知らせるという取り決めもしていたので、子どもたちの近況を知らせる内容の手紙を作りました。
子どもたちの近況を知らせる手紙の内容
子どもたちの近況を知らせる手紙といっても、わたしがモラハラ元夫に対して心をこめて手紙を送る必要はないので、必要な内容をまとめたというかんじです。
わたしと子どもたちの住んでいる場所は、モラハラ元夫に知られないようにしているので、学校や部活なども特定されないように気をつけました。
ちなみに、次回以降は取り決めを守らない場合は、こちらも対応について再検討するという内容も記載しました。
ついでに…わたしからの手紙も封筒の宛名もすべてパソコンで作成してプリントアウトしたものを用意しました。
あえて手書きではないものを用意したのも、モラハラ元夫との距離感を主張するためです。
あくまでも、子どもたちの近況を知らせるという事務的な対応を主張して距離感を保たなければ、モラハラ元夫はまだわたしをモラハラ奴隷だと思っているのでモラハラ支配をさせないように気をつけました。
簡易書留で送った手紙が返ってきた!?
送った・受け取ってない、というトラブルを防ぐために、簡易書留でモラハラ元夫へ手紙を送りました。
※簡易書留では公的な証拠として扱われない可能性があるので注意してください。
簡易書留で送ることで、配送の状況もチェックできるのですが、モラハラ元夫は簡易書留を受け取らなかったようで返信されてわたしの元に手紙が戻ってきました。
モラハラ元夫からの手紙が届く
簡易書留で送った手紙がわたしの元に返ってきたあと、モラハラ元夫からまた茶封筒が届きました。
【仕事が忙しくて郵便局の窓口に取りに行く時間がなかった】
【忙しくて郵便局に行けなかったからもう一回手紙を送って欲しい】
という内容が書かれたルーズリーフが茶封筒に入っていました。
簡易書留は郵便局の窓口に取りに行く…?
簡易書留を受け取れない場合は、再配達や職場への配送も受付してもらえます。
モラハラ元夫は【郵便局の窓口に受け取りに行かなきゃダメ】と思いこんでいて、【郵便局の窓口があいている時間は仕事が忙しくて取りに行けない】と思いこんでいた可能性がものすごく高いですが、それはモラハラ元夫の都合なのでわたしには関係ありません。
モラハラ元夫が郵便局に問い合わせをすればいいことです。
【仕事が忙しい】は免罪符にならない
くり返しになりますが…
子どもたちに面会をしたくて面会交流調停を申立したのは、モラハラ元夫です。
仕事が忙しいというのは、理由にはなりません。
仕事が忙しいという言い訳をして、また、子どもたちをあとまわしにした、また、チャンスを使わなかった、それだけのことです。
仕事が忙しかったことは、免罪符にはなりません。
再送はしないこと
わたしは、モラハラ元夫に手紙を再送しませんでした。
モラハラ元夫から初めに届いた手紙は、調停で決めた月に送られてこなかった時点で本来であればわたしは手紙を送る必要はなかったのです。
それでも、1回目だから…と仕方なく返信をしたのに、手紙を受け取らなかったのはモラハラ元夫の選んだことです。
そしてさらに、調停の取り決めで【決められた月以外の手紙には対応しない】と約束をしているのに、モラハラ元夫は決められた月以外なのに【もう一度送って欲しい】という手紙を送ってきました。
調停で決めたことをなにも守らない、自分の主張が最優先で、モラハラ元夫の主張にわたしが応えることが当然と思っていることに対して、わたしは抗議の意味も込めて再送をしないことを決めました。
冷たい?思いやりがない?
手紙を再送しないことについて、冷たいとか思いやりがないとか思われることもあります。
でも、そもそもの原因はモラハラ元夫だということは事実です。
離婚をするまでずっと、モラハラ元夫が困らないように準備をしてあげて、モラハラ元夫の失敗は自分の責任だと思いこんで、モラハラ元夫の奴隷として生きていました。
モラハラ元夫も、わたしがモラハラ元夫の奴隷でいることが当然だと思っていました。
でも、わたしはモラハラ元夫の奴隷ではありません。
離婚をしたので、もう他人です。
約束を守らずに、自分の主張を押しつければ通用すると思っていることは、モラハラ元夫がまだわたしをモラハラ奴隷として支配しようとしているってことです。
だからこそ、ハッキリと拒否をして、もうモラハラ元夫の思い通りにはいかないことを主張しなければならないと思ったのです。
やさしくしないことがやさしさ
モラハラ元夫に対して、やさしくしないことがわたしのやさしさです。
もう他人であること、わたしや子どもたちはモラハラ元夫の奴隷ではないこと、それを理解しないとモラハラ元夫と関わることはできません。
でも、モラハラ元夫はわたしや子どもたちを支配できないことを理解する日は来ないと思うのです。
思いやりを持ってやさしく接することで、またモラハラの支配をされないためには、やさしくしないことがわたしにできる唯一のことだと思うのです。
賛否両論あるのは仕方がない
間接的な面会交流のことや、手紙の対応について、【冷たい】【ひどい】【もうちょっとなんとかしてあげてもいいんじゃない?】といわれます。
でも、モラハラの支配や執着心の強さは、モラハラを受けた人にしかわからないと思うのです。
結婚するときからそれぞれ事情がちがっているように、結婚生活や離婚のこともそれぞれ事情があるので、他人があれこれ判断できることではないと思うのです。
だからこそ、賛否両論あるのは仕方のないことですが、誰にも批判する権利はありません。
自分が思うように、信じて進むしかないのだと思うのです。
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