離婚を考えたときのこと

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目次

はじめに

紙の上の2つの金色のリング

離婚のお話をするまえに、まずは結婚したときのことをお話します。

結婚したときのこと

元夫とわたしが出会ったのは20歳のときでした。共通の友人の紹介で出会って、友だちとしてつきあうようになりました。当時、わたしは姉と2人暮らしをしていたのですが、仲違いをしている状態でした。元夫とつきあい始めてすぐに、姉と暮らす家を出たいと思い元夫と同棲をスタートさせました。

わたしは高校を卒業して就職をしたので、社会人として3年目。元夫は専門学校を卒業して就職をしたばかりで1年目の新入社員でした。同棲を始めるとすぐに「将来のことを考えているのか」「同棲までして、簡単には別れられないんだからな」と、親やまわりにはしつこく言われていました。

一応…結婚は考えていたし、わたしは早く子どもを授かりたかったので、でき婚・さずかり婚となるよりは、早く入籍をしてしまいたいと思っていました。

その頃、わたしは職場の環境がものすごく悪かったことが原因で体調を崩していたので…退職をするなら、入籍してしまおうか…という流れで入籍をしました。

子どものこと

結婚当時、体調を崩していて排卵すらも止まっていた状態だったので、子どもを授かるまではとても苦しかったです。期間にすると、半年~1年程度だったのですが、排卵が再開するまで薬を飲んだり基礎体温を測って、落ちこむ日々が続きました…。

まわりの友人は「別に欲しくなかったのに妊娠した」「妊娠したから結婚する」という話ばかり多くて…どうして自分は子どもを授かることができないんだろう…と、落ちこみました。そんなときに元夫にいわれた言葉は…「お前よりも苦しんでいる人なんて大勢いるんだ。落ちこまれても迷惑だ!」でした。

それから、長男、次男を授かることができたことだけは、何にも変えられないわたしの幸せです。

専業主婦を選んだこと

わたしは結婚する少し前に、3年間働いた職場を退職しました。そのあとに3ヵ月だけ別の会社に就職したのですが、そこの職場の環境でさらに体調が悪化して退職をすることに。そのあとは、パートの面接を何度か受けに行きましたが、結局就職をすることはないまま専業主婦として暮らしていました。

専業主婦として育児や家事をすることは、とてもうれしかったし楽しかったです。元夫の収入は本当に少なかったのですが、それでも子どもたちと過ごせる時間を大切にしたかったので、節約や手作りに励みながら生活をしていました。

…ただ、今思うと、パートが決まりそうになると、元夫にイヤな態度を取られたり、「パート代からオレに小遣いを払え」と言われたりしたことで…わたしが働いたら、家庭が壊れてしまう…そんな恐怖で働くことをあきらめて、専業主婦を選びました。

離婚をしたかった理由

ワイヤーに掛かっている失恋

モラハラを受けていたこと

わたしが離婚をしたいと思うようになったのは、心身ともに不調が悪化し続けたことをきっかけに、その原因を探ると…元夫からモラハラを受けていたことが一番大きな理由です。

「お前みたいに社会的になんの責任もない奴はストレスなんてあるのはおかしい」「お前に子育てをさせてやってるんだから、感謝しろ」「働くっていっても、お前みたいなババアを雇いたい会社なんて世の中にはひとつもない」「資格があったって、子どもがいるババアはすぐに仕事を休むから迷惑でいらない」

そんな言葉を日常的に浴びせられていて、わたしの心はどんどんマヒをしたようになっていました。

夜は眠れない、昼間は眠くて起きていられないけれど、昼寝なんていしていると元夫が仕事の合間に家に寄ったときにバレることが恐ろしい、食欲がない、元夫が帰宅する前にアルコール度数の高いお酒を飲んでしまう、生理不順、潜血…。

あとは、笑えなくなっていました。毎日「明日なんて来なければいい…」そう思っていました。

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お金のこと

元夫は専門学校を卒業してからずっと同じ会社で働いていたのですが、給料はとても少なかったです。ただ、役職はついていたので本人はとても「エライ立場にいる」「部下がいる」と思っていました。離婚するころには「オレが会社を背負っている」「オレがいないと会社がまわらない」「オレよりエライのは、社長と部長だけだ」といつも言っていました。

それほどの立場にいるのに、月収は手取りで17万円前後…そのころやっと年収が300万円台になったような状態でした。賃貸アパートに住んで、光熱費や子どもたちの幼稚園、小学校に必要なお金を払うと、残るお金は本当にギリギリでした。それでもなんとかやりくりを師ながら生活をしていました。

しかし、元夫は「スーツはオーダーじゃなきゃだめだ」「革靴は最低1万円以上じゃないと履けない」「オーダーのワイシャツが欲しい」「飲み会は部下の分は払ってやらなきゃいけない立場なんだ」「飲み会の往復にタクシー代が必要だ」「長い休みには旅行に行きたい」「私服が足りない」「美容室には月2回行って、最低でも月1回カラーリングをしなきゃだめだ。オレは営業だから身だしなみは重要だ」と、要求ばかりが募っていました。

夫・父親としての存在のこと

収入が少なくても、その中で協力をして生活をすることはできる…と、わたしは信じていました。元夫の要求にできるだけ応えて、なんとかするのが妻であるわたしの務めだと思っていました。
その半面、わたしが収入を得るようになったら、元夫の存在ってどうなるのだろう…と考えることが多くなっていきました。家事、育児は日常的にすべてわたしがやっていて、家電やゲーム、電気機器の取扱い、家具の組み立ても元夫はまったくできない人だったので、わたしがやっていました。旅行の時の長距離運転も、元夫が疲れたらあとはすべてわたしが運転していました。悩みや困ったことがあっても、元夫に相談をすることもありませんでした。

子どもたちには父親の存在が大切なものだと思って欲しくて、子どもたちが小さい頃から元夫の悪口をいうなんてことはもちろんしたことはなかったし、外食をしたり買い物をしたりしたら、子どもたちと一緒に元夫にお礼をいうことを欠かさずしていました。できるだけ、子どもたちと父親の関係が良好になるようにしていたと思います…。

在宅ワークを始めたこと

灰色のラップトップコンピューター

家計を助けるために始めたのに…

何年も前から在宅ワークには興味があって、何度も何度も調べたことはあったのですが、ネット環境もパソコンもない状態であきらめてきました。そんなある日、昔の趣味がきっかけでチャレンジしたことが、小さな賞をもらい少しだけ賞金をもらいました。パソコンを買うには足りなかったのですが、在宅ワークを始めたら絶対に残りは稼げる!というか、稼ぐ!という決意のもと、パソコンを買ってネット環境を整えて、在宅ワークを始めました。

少しでも家計をなんとかしたい、子どもたちにすきなものを買ったり、外食に連れて行ってあげたりしたい、そんな思いで必死に作業をしました。在宅ワークといっても、アンケートや簡単なライティングをするスキルしかなかったので、単価自体はとても少なかったです。そこで、数をこなして少しでも多く収入になるように寝る間も惜しんで作業しました。

パソコンやネット関係に疎い元夫は、わたしが少しでも収入を得始めたことがおもしろくなかったようで、「会社に所属していない人間なんて信用できない」「おかしな仕事をしているんだろう」「家事や育児は絶対にサボるな」「そんなものは仕事だとは認めない」と言われていました。

勤務時間がむずかしい…

小さい子どもがいて、夫が家事や育児に非協力的で、まわりに頼れる親族もいない場合には、勤務時間や休みの関係で働くのがむずかしい場合もあると思うのです。家計は苦しくて収入が少ないから、働きたいけど働けない…そんな選択をするしかない専業主婦は少なくないと思うのです。それでも「専業主婦」というだけで、恵まれていると思われて、生活が苦しいというと「じゃあ働けばいいのに」と言われて、どうにもならないツラい気持ちをわたしは抱えていました。

だからこそ、在宅でできる仕事と出会えたことはとてもうれしかったです。在宅ワークは期限さえ守れば、あとの作業は自分のできる時間に進めることができます。子どもたちや自分の体調が悪いときには、代わってくれる人がいないので大変なこともありますが、仕事を休まなければならない、というプレッシャーよりは楽だと思ったのです。

大きくなった、留守番はできる、といっても、当時子どもたちはまだ小学生だったので、放課後や長い休みの日に2人ぼっちにさせることも不安だったので、在宅ワークはわたしにとってとてもぴったりの仕事でした。

認められる喜びに出会う

在宅ワークは、基本的にすべて自分で調べて理解して作業していかなければなりません。基本的なことや簡単なことをいちいちクライアントに聞いてしまっては、契約がすぐに終了するのではないかと不安でした。業務に関わることはきちんと確認をしますが、基本的なことは自分で調べて、やってみて、覚えて…という作業をくり返すことが多いです。

それでも、自分がやったことに対して報酬をもらえる、収入になる、ということは、ものすごくうれしくて、自分の存在が認められたような喜びに包まれました。知らなかったことを知ったり、できるようになったりすることは、自分の人生を豊かにしてくれるんだなぁ、と思いました。

あとは、子どもたちに対しても、新しいことにチャレンジするとか、わからないことを学ぶことを、自分が実際にやっている姿をみてもらえていることがうれしいと思いました。「明日がこなければいい」と思っている母よりも、「明日もがんばってみよう」と思っている母でいたかったのです。

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離婚に進む前に迷ったこと

人間の手

収入のこと

離婚をしようとすぐに決断はできませんでした。まずは収入のことで迷いました。少ないとはいえ、元夫がいれば今の状態の生活は最低限キープできること。在宅ワークを始めたとはいっても、短時間のパートやアルバイトをしたときのような収入しかないこと。今後も稼ぎ続けることができるのかまったくわからなくて不安でした。

子どもたちも大きくなってお金がかかる時期になります。中学校の制服を用意したり部活を始めたりしたとき、高校に入るとき、もし大学へ進学したいといったときに、なんとかしてやれるのかを考え始めたら、不安しかありませんでした。でも、元夫の収入があっても、十分なサポートはできないし、大学進学の費用もきっと用意できない未来しか想像できませんでした。

それでも、未来のことはわからないから、我慢をし続けて不幸な未来よりも、自分で進む道を選べる未来がいい!と思ったのです。

子どもたちの気持ちのこと

離婚をしようか迷った時に、子どもたちの気持ちはとても心配で不安で何度も何度も悩みました。わたしの都合で子どもたちから父親を奪ってしまうこと。生活で不自由な思いをさせてしまうかもしれないこと、不安な思いをさせてしまうかもしれないこと。子どもたちはどう思っているのか、考えるほどに不安しかありませんでした。

「ママはもうパパとは生活ができないこと」「パパとお別れしたいこと」「ママは子どもたちと一緒にいたいこと」「ママとパパがお別れしても、パパは一生パパだよってこと」を、子どもたちに伝えました。

そして、わたしは心の中で、もしこれから先子どもたちに離婚のことを責められることがあったとしても、それはすべてわたしがひとりで受け止めよう。向き合っていこう。そう決めました。

まわりに反対されたこと

実際に離婚に進み始めても、まわりには離婚を反対されました。事情を話しても、実親にも反対されました。友人だと思っていた人たちにも「離婚ってどういうことかわかっていない」「子どもたちを不幸にする気か」「どうやって子どもたちを育てるんだ」「仕事もしてないんだから、生活なんてできないだろう」…と。わたしの気持ちは置き去りで、お構いなしで、一般論を次々と押しつけられて、ぶつけられました。

「みんな旦那に文句はあるけど、我慢してるの」「もっとうまくやれないのが悪い」「我慢が足りない」「旦那さんはそんなに悪い人に見えない」「被害妄想じゃないの」「離婚なんて人生の汚点だ、失敗だ」そんな言葉も投げつけられました。

それでも、まわりに反対をされてもあきらめないで、自分の気持ちを信じて離婚をして、よかったと思っています。離婚をして後悔をしたことは、一度もありません。

どこかで誰かの”なにか”になってくれたら…

木のシルエットを通して太陽光線

離婚をするときには、いろいろなことで不安になって迷って悩みました。専業主婦だったことはさらに不安を大きくしました。それでも、「明日なんて来なければいい」と思っていた頃よりも、「明日はどんなチャレンジをしよう」とわくわくしている今のほうが、ずっとずっと楽しくて幸せです。

離婚をしようかどうか迷った時に、専業主婦、離婚、子ども、仕事、収入…たくさん調べました。だけど、わたしが欲しい情報は見つけられなくて不安でした。だからこそ、わたしの経験がどこかで誰かの”なにか”になってくれたら、と思っています。

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