別居中のこと

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目次

別居のきっかけ

出口標識と閉じた白い塗装ドア

家計について話し合いがしたかった

その日は…まだ別居も離婚もする気はなくて、現状について話し合いをするつもりだったのですが、結果的にその日から別居がスタートしました。

家計が苦しいことや、もうどうにもできないことを相談したくて話し合いをしました。

借金はないとはいえ、元夫が使うお金を用意するために食費として分けていたものを渡して、食材はわたしの親に買ってもらったり、子どもたちのために使おうとしていた児童手当を渡してなんとかやり過ごしていただけでした。

…でも、現状を伝えても、家計簿をわかりやすくまとめたものを見せて説明をしても、
「オレの収入が少ないって文句をいうのか!」
「給料が少ないのはオレのせいじゃない!会社が悪い!」
「オレは十分我慢して節約してる!もうこれ以上できることはない!」

そう、はねのけられました。

わたしの親に生活費を援助してもらっている状態なことや、わたしの体調がとても悪いこともそのときに伝えたのですが

「親に援助されてることを、どうして隠してたんだ!」
「親に援助されてるなんて恥ずかしい!」
「体調が悪いなら、病院へ行け!」

病院へ行きたいけれど、そのお金がないことを伝えても「お金はなんとでもなる」…と。

話し合いのつもりが論点はどんどんズレていき、元夫はヒートアップして衝動的に家を出ていきました。

なにも伝わらない

元夫は困ったときに頼れるような友人がいないこと、当てつけのような衝動的な行動をすることがあったので(乱暴な運転をする、家具を壊すなど…)近くに住んでいる義理の母に連絡を入れました。

義理の母も元夫とよく似た人で、気に入らないことがあるとすぐうちに乗り込んで文句を言って、気がすむと「息子には言うな!」と帰っていくような人だったので、黙っていることはないだろうと思ったのです。

衝動的な行動をされると迷惑なので、義理の母に「(元)夫が出ていきました」とだけ電話で伝えて、そのあとの連絡はすべてムシしました。

義理の親はすぐに元夫に連絡をとり、無事に義実家に保護されたようでした。

次の日、わざとらしく頭に雪をたくさんかぶって(寒かったアピール)帰ってきた元夫は、

「オレの親が、お前に謝りたいって」
「ちゃんと親が謝るから、聞いてやって欲しい」
「オレの親も、反省してるんだよ」

と、言われました。

わたしの伝えたかったことは、なにも伝わってないと…やっと気づいたのです。

自分の意志で出ていくこと

元夫の親に謝られても何も解決しないこと、謝られて許さなかったら、またわたしが悪いとされること、選択肢のない選択を突きつけられていると気づきました。

一度、身体を休ませて気持ちも落ちつける時間が欲しいことを伝えて、実家に帰ってくれないかと元夫に伝えました。

一般的には自分が実家に帰るのかもしれませんが、それは解決にならないと今回は絶対に譲らないつもりでした。

子どもたちは学校に通わなければならないこと、子どもたちの生活が大切なこと、元夫の実家は元夫の職場からも近いけれど、わたしの実家は距離があることを理由に元夫が自分の意志で家を出ていくというまで言い続けました。

元夫は
「しばらく実家にいってやってもいいけど、すぐにはムリだ」
「仕事が落ちついてからならいいけど、3ヵ月くらいあとになる」
「親にも事情を理解してもらわないダメだ」
「オレが実家に行くなんて、簡単なことじゃないんだ。お前が実家に帰るのとはわけがちがうんだ」

わたしは、殴られてもいい、どうなってもいいから、元夫を怒らせて衝動的に出ていくように仕向けました。

結果、元夫は激しく怒り狂い、身のまわりのものを少しだけ持って、一台しかない車に乗って出ていきました…。

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別居中の生活費

各種紙幣と硬貨

手渡しから郵送に

元夫はすぐに戻ってくるつもりで出ていったのですが、わたしにとっては大きな前進でした。

通帳など家計のことはすべてわたしが行っていて、銀行のカードはもちろんキャッシュカードも自分で管理せず使い方も知らない元夫。

元夫が出ていってから数日後に給料日があったので、自宅まで来てもらってお金を渡しました。ただ、絶対に玄関先までで、家には入れないようにしました。

その後、ラインでやりとりはしていたのですが、反省したような内容のとても長いラインを何度も何度も何度も送ってきました。

ただ、その内容はなにかのテンプレートのようで、わたしが何度も何度も何度も伝え続けてきたことは、なにひとつ伝わっていなかったことしかわかりませんでした。

そして、とにかく「会って話そう」「会って話さないと伝わらない」「文書が下手だから、会って話したい」とくり返し始めました。

会って話すと、また元夫のいいような方向に話を進めて、伝わらないまま言いくるめられて、なにもなかったことにされるのだけはイヤだと思いました。

今は会いたくないこと、落ちついて考えたいことは伝えました。

「会って話そう」というわりに、自分は忙しいアピールをするので、次の給料日は「忙しくて大変だろうから、お金は郵送します」と現金書留で郵送しました。

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生活費の見直しをする

別居中には、身体を休めること、気持ちを落ちつけることもとても大切ですが、生活費の見直しをしていました。

別居をしてすぐには、まだ離婚について本格的には考えていなかったのですが、もし離婚をした場合の生活もシミュレーションしていました。

今の生活での支出や元夫にかかっていた分の支出を計算したり、元夫が出ていったあとの生活費をメモしたりしながら、もし離婚した場合にはどんな手当があるのかというのも調べました。

これからの生活はどうなるかわからないからこそ、子どもたちに必要なものを可能な範囲で買いました。
(離婚に進んだとしても、子どもたちのものは取り上げられることはないと思ったので…)

一応、最低限の生活が確保できる程度のお金はもらえたのですが、それは元夫のプライドがあったからだと思っています。

「家を出ていってやった自分はエライ」
「家を追い出されたのは可哀想」
とアピールをして、まわりにも同情されていい気分になれたこと。

すぐに解決する大したことない問題だと、軽く考えていたことで、自分が責められないために生活費をくれていたのだと思います。

もしも、生活費をもらえないという場合には、婚姻費用を請求するという方法もあります!
(ただ、わたしの場合は婚姻費用請求をすると離婚調停をしなければならなくなる可能性があると思い、離婚をするとしても離婚調停はしたくなかったので生活費をもらえなくても婚姻費用請求はしなかったと思います。)

※離婚調停をしたくなかった理由は、今後お話ししたいと思います。

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在宅ワークで収入を得ていた

在宅ワークを始めて半年くらいだったのですが、4~6万円くらいは稼げるようになっていました。ただ、別居するまで稼いだ分は生活費や旅行で使い果たしてしまっていたのですが…。
わたしが実家に戻っていたら、子どもたちを学校まで送迎するとかほかのことにも時間をたくさん使ってしまって余裕がなかったと思うのですが、家に居座ったので、元夫がいないこと以外は変わらぬ生活ができたことも良かったです。

元夫がいないことで、生活だけじゃなく体調も気持ちも少し楽になりました。

そこで、できる限り稼ぎたいと思って毎日仕事をしました。

…だけど、わたしに収入があることを元夫には知られたくない、今後離婚に進んだときに不利にならないように、申告が不要な範囲でしか稼げないことはもどかしかったです…。

在宅ワークで報酬の振込にネットバンクを使っているのですが、ネット関係にうとい元夫にはネットバンクの存在は絶対にバレないと思いました。

離婚のときには財産分与をしなければならないのですが、わけられる財産は使い古した車や家具家電…。
貯金なんてありませんでした。

だからこそ、少しでもなにかのときに使えるお金を必死で稼ぎました。

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別居中に注意すること

茶色のテーブルに白と赤の木造住宅のミニチュア

内カギは絶対に

別居したからといって、油断はできません。

元夫が出ていって数日後、わたしは友人を家に招いていろいろと相談をしていました。…そのとき。元夫が静かに家に入ってきたのです!!

玄関から居間までは1、2歩しか距離がなくて、カギを開けたら音が響くような家だったのに、話に夢中だったわけでもないのにまったく物音はしませんでした。

今の扉が開いて、元夫の姿が見えたときには、叫べないほど驚きました…。

あのとき、もし家に友人がいなかったらと思うと、ゾッとします…。

夜は内カギ(チェーンと呼ばれるようなものです)はしていたのですが、友人が来ているときにするのもなんだか…と、思っていたのですが、それからは絶対に内カギをするようにしました。

もし、内カギすら外して入ってきたら、それはそれとしてひとつの証拠になると思いました。

元夫が、物音を立てずに家に入ったことは
「そういうことをされると、落ちついて生活ができないからやめて欲しい」
「連絡をいれてから来るようにして欲しい」
と、伝えて、その後郵送でやりとりをする理由のひとつになりました。

できるだけ家を空けない

元夫が静かにそっと家に入ったことで、いつこっそり家に入られるかわからないという恐怖が芽生えました。

1台しかなかった車は元夫が乗っていってしまったので、駐車場に車があるかどうかで留守を確認することはできませんが、それでも怖いものは怖い…。

そこで、できるだけ家を空けないようにしました。

子どもたちだけを留守番させなくてはならないときは、わたしが玄関をでてから子どもたちに内カギをさせました。

あと、インターホンがない家だったので、チャイムが鳴っても出なくていい、玄関にも近づかないように子どもたちに伝えていました。

わたしが帰宅したときには、カギを開けてドアのすき間から、「ママだよ~」と声をかけて内カギをはずしてもらっていました。
(7匹の子ヤギみたい…(笑))

数日でも実家でゆっくりしたい、とか、気分転換に出かけたい気持ちもありましたが、家を留守にして「万が一…」というほうがこわくて、できるだけ家は空けないように過ごしていました。

子どもたちが安心できるように

心配やことや不安なことばかりでしたが、子どもたちができるだけ安心できるようにすることも大切なことだと思います。

元夫が怒り狂って出ていったときのことは、子どもたちも一緒にいたので覚えています。

表向きは、仲のよい親子でしたが、子どもたちが大きくなるにつれ…特に長男は「父親に対しての違和感」を募らせていました。

「話を聞いてくれない」
「言っていることが毎回変わる」
「いきなり怒り出す」
…など、数えきれないほど、毎日わたしに話をしてくれていました。

「休みの日に、無理矢理出かけなきゃないのがイヤだ」
「イヤだっていっても、聞いてくれない」
「怒るから怖くていうことを聞くしかない、我慢するしかない」
そんなことを言われたときには、どうしていいのかわからなくなってしまいました。

そういう状態だったので、父親が出ていったことで「悲しい」というよりも「安心した…」という感じでした。

それでも
「もし学校に来たらどうすればいいの?」
「帰り道にいたらどうすればいいの?」
「習い事の帰りに待ち伏せされてたらどうしよう…」
というので、

「もし学校に来たり、帰り道にいたら、先生のところに行こう。
担任の先生じゃなくていいから、職員室に飛びこんでいいんだよ。
先生はちゃんと「なにかあった」って気づいてくれるから。
「お母さんに連絡してください」って伝えたら、ママがすぐに迎えに行くから大丈夫」
と、何度も伝えました。

習い事は送迎をしました。

学校も送迎をしたい気持ちはあったのですが、できるだけ通常のままの生活をする方が安心するのではないかと思ったからです。

ただ、もしも本当に(連れ去りなど)危険な状態の場合には、送迎することも方法のひとつだと思います。

…大切なことは、自分の不安を子どもたちに押しつけない、ってことだと思うのです。

別居中の子どもたちと父親の面会

男と少年の青い空の下で海岸を歩いて

生活費を渡すとき

別居が始まってから、元夫は「子どもたちに会いたい」「子どもたちが心配だ」とくり返していました。

そして、別居がスタートして数日後に「こんな状況でパニックになっていた」という理由で自動車事故を起こしたのです。

別居が始まったのが1月下旬で雪がたくさん降る地域に住んでいるので、雪道運転はとても危険です。

…とはいえ、後ろを確認せずにバックをして、後ろにいた車にぶつかったそうです。路面状況の影響ではなく、完全に不注意…。

その理由が「別居なんてことになって、落ちついた気持ちでいられなかった」…なんて、そんな人は絶対に車を運転してはいけないと思います。

ぶつかった車の方に迷惑をかけて、それでも「自分は悪くない」と反省する様子もなく、破損した状態の車で「オレの休みに子どもたちと出かけたい」「お前も一緒に行きたいなら、連れてってやってもいい」と提案をする元夫にあきれる気持ちが募るばかりでした…。

「落ちついた気持ちで運転ができない人は、運転をしてはいけない」
「事故を起こすほど、精神状態が落ちついていない人に、子どもたちを安心して預けられない」
「子どもたちは会いたくないと言っている」

ということを伝えていましたが、元夫は納得していない様子でした。

そこで、生活費を渡すときに、玄関先でしたが子どもたちに会わせていました。

わたしがすぐ隣にいたら話がしにくいかもしれないと気遣いをして、すぐ近くにはいますが、わたしの姿は元夫からは見えないような場所にいました。

…でも、なにか会話をするわけでもなく、1、2分で帰っていきました。

※後日、子どもたちに一度も会わせてもらえなかったと言い出しました。

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子どもたちの気持ちが最優先

その時はまだ「離婚をするかどうか」で迷っていたのですが、子どもたちの気持ちがどうなのかは、その時も今でもずっと気になります。

わたしに気を使って言えないんじゃないか、本当の気持ちはどうなのか、子どもたちの気持ちを疑いたくない、いろんな思いがぐるぐると巡ります。

子どもたちの気持ちは最優先したいと思っているし、ウソはつかないで欲しい…。本当の気持ちを知りたい…。

強く強く、そう思いました。

離婚を決めたことは、わたしの気持ちを最優先させていて、子どもたちの気持ちは考えていないことになるのかもしれません…。

なので、それ以外の部分では子どもたちの気持ちを大切にしようと思っています。

そこで、できるだけ子どもたちから話をしてくれるのを待つことにしています。

「パパに会いたい?」
「離婚するのイヤだった?」
…と、聞きたい気持ちはずっとありますが、それはわたしが聞きたいだけで子どもたちが伝えたいことではないと思うのです。

「パパと会いたくない」
「離婚したほうがよかった」
そういう言葉をわたしが欲しくて、子どもたちに聞くのは、わたしのエゴでしかないと思うので聞きません。

いつか、子どもたちが話したいと思った時に話をしてくれるような関係を作ることが、一番大切なんじゃないかと思うのです。

わたしの場合

あくまで、わたしの場合のお話しをしています。
元夫の性格を一番知っているのは、わたし。そこに気づいたからこそ、選択をした方法ばかりです。

残念ながら、どの方法が正解なのかはわからなくて、たくさんの選択肢はあるけれど、選んで進んでみないとわからないことしかなくて、不安でこわかったです…。

わたしさえ、我慢すれば…元夫と生活をしていけるのではないかと、何度も思いました。

それでも、別居ができたことは大きな一歩で、別居できたことで選択肢は広がったと思いました。

いろいろな状況や子どもたちのことを考えると、すぐに「離婚」という決断はできなかったのですが、わたしだけの気持ちは「離婚に向かって進みたい」と思っていました。

このまま別居が続けられるなら、それでもいいと思ったこともあります。

ただ、もし別居を解消して、離婚もしなかった場合には、もう二度と離婚できなくなると思いました。

2回目以降は、まともに取り合ってもらえなくなって、本当に離婚をしたいと思ってもスルーされる可能性が高くなります。話し合えば、すぐに言いくるめられると思われます。それだけは、注意して欲しいなと思います。

今、幸せ!

昼間の赤いケシの花畑

離婚をするとしても、もっと準備をしてからとか、自分の進もうとしている道は正しいのか、どんな方法があるのか、わからないことだらけで不安でした。

身動きがとれないことも苦しいけれど、こわくて動けないこともありました。
もっと情報が欲しいのに、似たような状況の人はまったくいなくて、専業主婦で無職なのに子どもを2人連れて離婚をしようだなんて、無謀なことなのだろうか…と、ネット迷子にもなりました。

それでも、自分ができることから始めることが大切だと思うのです。わたしは、今、幸せです!

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